竜とそばかすの姫感想:描かれなかった大人たちの姿

(ネタバレが多分に含まれております)

細田守監督の最新作「竜とそばかすの姫」を観てきた.予告映像を公開前に見て,氏の過去作「サマーウォーズ」と同様のインターネット世界が描かれていたことから,期待をして観に行った.今作では,このインターネット世界は「U」(ユー)と名付けられ,「U」を使う人間は,自身の身体情報(顔の造形,身体能力,etc.)をUに読み込ませた上でアバターを作り,Uの中で活動する.「サマーウォーズ」のOZ,「バケモノの子」の渋天街,そして今作のU,と細田守監督の描く異世界,インターネット世界は,とても心が踊らされる.今作の序盤見せられるUの世界も非常に美しく,私達が今VRなどで体験している仮想世界の発展形を想わせるものだった.ゆえに,Uの中で現実世界のスキャンダルやゴシップが流れ,アカウントの持ち主が暴かれることが死活問題に扱われるのも,私達が利用しているSNSTwitterなど)で散見される問題と同様であるように見え,本作の舞台は,私達の現実世界とインターネットの世界に非常に近しいものであると感じた.

 

このような先入観を持ったためか,本作で主人公たちが立ち向かう困難とその解決には非常に違和感を覚えた.ねたばらしだが,Uで多くのアバターを潰していた竜の正体は,父子家庭で障害児(おそらく)の弟をかばい,父親から虐待を受けていた10代の少年であった.この兄弟を主人公の女子高生・鈴は救おうと行動し,最後に兄弟は虐待に立ち向かう姿勢を見せる.私が違和感をもったのは,虐待が判明し,鈴が兄弟の家に駆けつけ,父親からの虐待をやめさせるまで,大人が一人も介入してこない,という点だった.前作「サマーウォーズ」では,主人公の少年が暴走したAIに立ち向かうため,大人たちが少年の持ち得ない手段で力を貸していた.彼らのとった手段が社会のルールに則っていたのかは不明だが,困難を解決するために”協力”はしていたのである.いっぽうで,「竜とそばかすの姫」では主人公・鈴が,問題の虐待する男性(竜である少年の父親)と対峙するまで,対峙している最中でさえ,力を貸す大人がいない.鈴が参加している合唱団(鈴以外の全員が成人女性)のメンバーは鈴を高知駅まで送ったあと,「あの子が決めたことだから」と,東京行きの電車には同乗せず,見送る.鈴の父親ですら,虐待の現場に娘が向かうことを承知の上で,高速バスに一人で乗る鈴にLINEでメッセージを送るのみで,事態をただ傍観している.現実で考えたら,10代の女子が他人に暴力を振るう成人男性のもとへ単身乗り込む事態を,異常だと考えるのでは?映画では,虐待していた男性が鈴に向かって振り上げた拳は鈴に当たることはなかった.しかし,現実では振り下ろされていたかもしれない.そう考えると,鈴が男性を見つめることで,男性が改心する展開,「若さが良心を責め立てる」という構図を非常に頼りないものに感じてしまった.

 

この「竜とそばかすの姫」では,公開前のプロモーション段階で多くの人を惹き付けていると思う.そのようなことができる大人が,制作陣には集まっている.彼らなら,少年少女達に降りかかる困難を打破できる大人,それを支えられる大人の姿を描いてもよかったのではないだろうか?